次の世代へ繋げていきたい職人の技と本質のあるスタイル。

ブランドとゆかりのある方々をお招きし、出会いのエピソードや思い出深いアイテムなどについて語っていただく連載「LIFE NOTES」。今回は145年という長い歴史を持つ老舗「開化堂」の6代目として、伝統と変革のバランスを保ちつつグローバルな視野で活躍する茶筒職人の八木隆裕さんと、奥様である光恵さんをゲストにお迎えしてお送りします。同時公開される音声コンテンツで、インタビュー時の生の声も併せてお楽しみください。

お二人とマーガレット・ハウエルとの出会いについてお聞かせいただけますか。

隆裕さん ブランド自体を知ったのは大学を出て働き始めた頃ですね。当時の僕にとっては手が出せないような“高嶺の花”のブランドだったことをよく覚えています。何か派手な魅力があるようなブランドではないけれど、洗練された雰囲気がとてもカッコ良くて、「いつか欲しいな」と気になっていました。そういう意味では、今の開化堂ともどこかスタンスが似ているなと感じます。

光恵さん 私も同じで、学生の頃からもちろんブランド自体は知っていました。ですが自分にはまだ早いと思っていて、いつも外から眺めていました。気にはなるけどなかなか手を出せない、そんな存在でした。

最初に購入された物については覚えていますか。

光恵さん 彼がお土産で買ってきてくれたのが最初だったんじゃないかな。

隆裕さん そうかもね。初めてイギリスに行った時に買いました。会社員として企業に勤めて、実家に戻ってきた後だったのでおそらく2000年ごろかな。その頃は少しお金に余裕も出てきましたし、普段の仕事で人前に出て実演をすることもあるので、一張羅になるような素敵な服を持っておきたかったんです。その時は紺色のシャツとカーディガンを買ったのですが、今でもかなり重宝しています。

マーガレット・ハウエルとの仕事をするようになったきっかけはなんだったのでしょうか。

隆裕さん 百貨店でマーガレット・ハウエルさんがポップアップショップを展開した際、開化堂の茶筒をお取り扱いいただいたことが最初のきっかけだと思います。ロンドンの「ポストカード・ティーズ」という紅茶専門店が2005年から開化堂の茶筒を扱っているのですが、そこでマーガレットさんに茶筒を見てもらったようです。すでに製品に対しての信頼を持っていただいたということで話が早く決まりました。自分がなかなか手を出せなかったブランドが、うちの茶筒を売りたいと言ってくれることがすごく嬉しかったですね。前のめりに話を進めた記憶があります。

「ポストカード・ティーズ」との出会いはどういったものだったのでしょうか。

もともとは「ポストカード・ティーズ」の店主・ティムさんの父親が、ロサンゼルスで日本人夫婦が営む店で開化堂の茶筒と出合い、「息子が紅茶屋を始めたから、ロンドンでこの茶筒を売りたい」と連絡をいただいたことがきっかけ。僕は実家に戻るときに「海外で茶筒を売りたい」という想いがあったので、願ったり叶ったりでした。ロンドン出張の際は、ティムさんに頼んで店の上に泊めてもらったこともあります。

出張では毎回お土産を買って帰られるそうですね。

隆裕さん 人の喜ぶ姿を見られるのが嬉しくて、贈り物をするのが好きなんです。だから出かけた時にはつい家族や友人などにあげるお土産を見てしまうんですよね。

光恵さん 彼は人の良いところを見つけるのが得意なので、「この人にはこれが合うだろうな」とか「この人にこの方を紹介したら気が合うんじゃないか、繋がるんじゃないか」ということを考えるのが上手だと思います。買い物も好きですし、私よりも断然おしゃれなんです。

隆裕さん 「もらって嬉しくない人なんていない。お菓子でも良いから何かしら持っていけ」っていうことをよく祖父に言われていました。それが染み付いているのかもしれませんね。

お土産でもらったもので光恵さんのお気に入りを教えてください。

光恵さん ロンドンのお土産ではいつも、マーガレット・ハウエルでセレクトしているアクセサリーを買ってきてくれるんです。どのアクセサリーも、どのマーガレット・ハウエルの洋服にもぴったり合うので、長い間大切に使っています。

隆裕さん ずっと使ってくれているところを見ると、やっぱり買ってきてよかったって思うので、プレゼントしがいがありますね。「これ、あの時のお土産やん」と言われて、「ああそうだった!」とこちらが思い出させられるくらい、よく馴染んでいます。

光恵さん 少しずつ増えていくのがまた嬉しいんですよね。

2016年にはウィグモアストリートにあるマーガレット・ハウエルのフラッグシップショップでインスタレーションをされたそうですね。その時のお話をお聞かせいただけますか。

隆裕さん 中川木工芸と一緒に「SHOKUNIN」という展示をさせてもらいました。うちは100年以上前から同じものを作り続けているということで同じ茶筒を100本並べて、一番奥に100年前の茶筒を置きました。中川さんの方は、木工の技術を携えていろんなものが作れるようになったということで全て違うものを100個、並べていました。やることは異なるけれど共に職人です。そういう感覚で物作りをされているマーガレットさんのお店で展示をやらせてもらえないかと考えて提案したんです。ウィグモアストリートの真っ直ぐな空間に茶筒が並んでいたら、すごく合うんじゃないかって思いまして。

そこではどんな話をされたのですか。

隆裕さん 「繋がり」についての話をしました。開化堂も、曽祖父から祖父、祖父から父、という風に繋がって今がある。祖父には幼い頃よく遊んでもらったけど仕事の話は一度もされたことがありませんでした。でも何となくやっていることが似ていて、言葉ではない部分で繋がっているところがあるなと感じていました。そういう「繋がり」が実はすごく大事なことなのではないかと思っていて、そんな話をさせていただきました。

先ほど工房で拝見したようなことをロンドンでも再現されたんですか?

隆裕さん そうですね、あの雰囲気をいかにして感じてもらうかを考えました。ただ派手に茶筒が並んでいるだけではなくて、同じ色のブリキの缶だけを並べる展示にして、言葉では表現しづらいのですが、「開化堂“らしさ”」を出したかった。職人は“見て覚える”世界です。言葉によってではなく、見て覚えることで紡がれてきた哲学を感覚としてシェアしたかったんです。百貨店ではなくて、あの店の雰囲気だったからこそ、ブリキの茶筒だけを並べることでそれが伝えられたのではないかと思います。

マーガレットさんともお会いしたことがあるそうですね。

光恵さん 去年家族でお店に行った時に、偶然お会いできました。実際に会ってみるとブランドに対する愛情やエネルギーを感じる方で、魅力的でした。学生時代から憧れだったブランドの創設者と、そうやって同じ時間を共有できたことは本当に自分の財産になるなと感じました。

隆裕さん ちょうど会議のためにお店にいらしていたみたいなのですが、あと1時間でも時間がずれていたら面会することは叶わなかったわけで、すごく運命的で貴重な時間になりました。優しいけど芯がある感じがして、以前からそんなイメージを持っていたのですが、本当にそういう方なんだなと改めて思いました。

後編へ続く。(1月下旬公開予定)

PROFILE

八木隆裕、光恵・やぎたかひろ、みつえ

隆裕さんは1974年、京都府生まれ。京都産業大学を卒業後、3年間の会社員生活を経て、2000年に「開化堂」の家業を継ぐべく、父・八木聖二の下で修業をはじめる。新規の商材開発に加え海外向けの宣伝販売活動を積極的に行う一方で、京都の若手職人とともに「GO ON」プロジェクトにも参加。光恵さんは、結婚後「開化堂」ならびに隆裕さんの仕事を影で支え続けている。

PHOTO: TETSUYA ITO
EDIT: YU_KA MATSUMOTO
TEXT: RIO HIRAI
SOUND ENGINEER: SHINSUKE YAMAMOTO