ものを愛する人が、マーガレット・ハウエルを手に取ったわけ。

ブランドとゆかりのある方々をお招きし、出会いのエピソードや思い出のアイテムなどについて語っていただく連載コンテンツ「LIFE NOTES」。今回は家具の製造販売や内装デザインのほか、イベントのプロデュースなど幅広く活躍するランドスケーププロダクツの創設者である中原慎一郎さんをゲストにお迎えしてお送りいたします。インタビュー時の生の声もぜひ併せてお楽しみください。

中原さんがマーガレット・ハウエルに出会ったきっかけを教えていただけますか。

2002年か2003年のことだったと思います。会社の社員旅行でイギリスに行った時に、ウィグモア ストリート店にふらっと立ち寄ったのが最初ですかね。大きなつくりのお店で、もちろん服も充実していたのですが、特に印象的だったのは本のセレクト。その時は建築デザインの本をすごく気に入って購入したのを覚えています。あとはマーガレット・ハウエルの定番アイテムでもある、白いシャツとニットを購入しました。その時のニットは穴が空いてしまうまで長く大事にしていて、いまだに捨てずに持っています。

マーガレット・ハウエルとの最初のコラボレーションは「こどもビームス」ということですが、それはどういった経緯だったのでしょうか?

今はもうないのですが、実は元々自分の会社にキッズ部門があって、私はその中で子供の生活雑貨を担当していました。その時にBEAMSから声をかけていただいて、「こどもビームス」の立ち上げにディレクターとして参加することになったんです。BEAMSから、子供服だけではなくて子供にまつわる周辺のものまでセレクトしたいと依頼されていました。子供が使うことを想定して家具などをセレクトする時に、マーガレット・ハウエルのものを選ばせていただく機会があったので、それが仕事としての最初の接点だったかと思います。

その時に、アングルポイズを仕入れたということでしょうか?

そうですね。その時ちょうど自分にも子供がいたので、自分自身としても「子供が安心して使えるかどうか」という視点でアイテムを見ていた時期でした。子供って暗いところで本を読んだり何か書いたりしがちじゃないですか。だからライトがあったほうがいいなと思って、アングルポイズを仕入れたんです。大人が「ライトを点けなさい」って言わないとなかなか付けないんですけどね。わが家のアングルポイズは、今じゃ子供にたくさんステッカーを貼られて唯一無二のデザインになっています。

2012年には MHL.がコミュニティマートを主催。中原さんもこのイベントの企画に大きく携わったということですが、主にどんなことをされていましたか。

参加するメンバーの選定から企画の名称を決定するに至るまで、ほとんどすべての過程で参加させてもらいました。当時の記憶が曖昧な部分もあるのですが、私からは「コミュニティを大事にしながら、色々な人にものを紹介するというコンセプトのイベントを開催したい」と伝えたと思います。というのも、カリフォルニアにある商業施設の形態にすごく感心したからなんです。当時よくカリフォルニアに行っていたのですが、カリフォルニアにはただテナント貸しをするのではなくて、地元のコミュニティを大事にしている商業施設があるんです。私自身、コミュニティを大事にしながらものを紹介するというコンセプトのトレードショーをやっていましたし、繋がりを大切にしたいという自分の中の方針が定まった時期でもありました。そういった仕事の繋がりが身を結んで、鹿児島県の「グッドネイバーズジャンボリー」というイベントにもMHL.に出店してもらうようになったんです。大自然の山の中が会場で、気候にすごく左右される大変なイベントなのですが、MHL.とはありがたいことにご縁がありまして、イベントの成功にも一役買ってもらいました。

これから世間はギフトシーズン。中原さんはプレゼントを贈る際に何か意識していることがありますか。

そうですね、誕生日やクリスマスのようなタイミングであげるというよりは、その人にあげたいタイミングで贈っている気がします。あげるものも、日常で普通に使えるものや、自分に置き換えてもあまり嫌じゃないものをあげるように意識しています。

ギフトといえば、マーガレット・ハウエルのハウスホールドグッズも非常に人気がありますが、何かお気に入りのものはありますか。

ブラウンベティのティーポットやバターケースは気に入って実際に使っていますし、足拭きマットはカフェでも自宅でも使っていて、何度か買い換えたほどにお気に入りです。ハウスホールドグッズも、最近はアイテム数も増えてきて選ぶのも楽しくなりましたよね。アーコールの椅子も、自分が設計したお店で使わせてもらっています。自宅の家具を選ぶときの候補にも入れていました。ミッドセンチュリーの家具でありながら、住宅でも馴染みやすいのがアーコールの魅力だと思っていて、だから人にも勧めているんだと思います。あとは、ブランケットも良いですよね。単純に、僕自身がブランケットや毛布が好きで海外でもよく買い付けますし、店頭に置いてあるとついつい見てしまいます。このモヘアのブランケットもすごく手触りが良いですね。

ブナコのボウルにもかなり思い入れがあるとお聞きしました。

出合ったきっかけは、私が起業する前まで遡ります。当時アメリカによく買い付けに行っていたのですが、その時にフリーマーケットでこのブナコのボウルを見つけたのが最初です。その頃はブナコのことを知らなかったので、北欧のアンティークだと思っていたんです。そうしたら後々それが日本の製品だということが判明して、それがきっかけでブナコと直接連絡を取るようになりました。アメリカで見つけたのは輸出用のデザインのもので、日本には出回っていなかったんです。黒や赤の漆で塗られた国内用のデザインももちろん素敵なのですが、生地を全面に出したナチュラルな輸出用のデザインが好きだったので、直接青森まで行ってどうにか別注で作ってもらえないかと相談して、再生して作ってもらったんです。私が関わった製品が、今やマーガレット・ハウエルに並んでいるというのは、なんだか感慨深いですね。

中原さんなりのアイテム選びのポイントやルールはありますか。

仕事の観点でもプライベートでも、直感で選ぶことがほとんどです。今着ているニットも自分の直感に従って買いましたし、ものを選ぶときの判断はすごく早い方だと思います。

ちなみに、普段はどんなファッションをされていますか。

仕事柄、出張が多かったので、着まわしやすいものを選ぶことが多いかもしれないです。具体的にいうとウエストのところが紐になっているズボンとかですかね。飛行機に乗っている時もいちいちベルトを外すのが面倒くさいんですよ。ニットが好きなのも、シャツみたいに毎回洗わなくていいし楽だからというのもあるかもしれません。今までは移動のことを考えた服が多かったのですが、今は50歳を目前にして、自分のスタイルも変わってきたなと思っています。それこそ出張ももちろんそうですが、自分が動きまわるのを控えようと思っていたところなんです。出張先のアメリカで車ばかり運転していた昔に比べると、日常的に歩くことを意識しています。浅草まで3時間ぐらいかけて歩いたこともありますね。それもあって、今まで履かなかったスニーカーを履くようになったり、動きやすい服を選ぶようになったり、ファッションにも変化が現れてきたなと感じています。

「ニューノーマル」な考え方が浸透してきていますが、そういった意味では中原さんの生活にも変化があったということですね。

大きな変化があったと思います。アメリカには行けなくなったものの、鹿児島と東京の二拠点生活というところは変わっていません。そのバランスを前から持っていて良かったなと改めて思いつつ、その中でも自分の居場所というか居心地の良い場所をどう作るかというところが難しいなと感じています。今まで人の空間や家を作ったりと、人のことを一番に考えてきたので、自分のための居心地のいい場所を作りたいなと考えているところです。コロナのおかげで自分のことを考える時間も逆に作ることができましたし、友達にもたくさん会えて刺激をもらえましたし、いいきっかけになったと思っています。

「サステイナブル」という言葉がポピュラーになってきていますが、中原さんの生活の中で意識することはありますか。

ものづくりの面で、材料のことなど自然と意識しているのはもちろん、人との関わり方や、会社の中身という面でもサステイナブル的な柔軟な考え方というのは大事だと思っています。心地良いと思う考え方は自分たちも率先して取り入れますし、少しずつでも実践するようにしています。

最後に、ブランド50周年を振り返る意味でもブランドと深く関わりを持つ中原さんが思う、マーガレット・ハウエルについての魅力をお願いします。

最初にロンドンのお店に入った時の高揚感は今でも忘れられません。それだけ、マーガレット・ハウエルがイギリス・ロンドンの、あの高貴な雰囲気をしっかりと持ち続けているブランドだということだと思いますし、その部分はこれからも変わらないでいて欲しいと思います。これから先もずっと素敵なものづくり、そしていいものを紹介し続けてほしいなと思っています。

PROFILE

中原慎一郎・なかはらしんいちろう/ランドスケーププロダクツ・ファウンダー

1971年鹿児島県生まれ。鹿児島大学教育学部美術科卒業。家具の製造販売、住宅・オフィス・店舗の空間デザイン、直営店展開、エキシビションやイベントのプロデュース・ディレクション、編集/出版、ブランディングと活動範囲を広げ、新たなランドスケープ(風景)作りに取り組んでいる。

PHOTO: TETSUYA ITO
EDIT: YU_KA MATSUMOTO
TEXT: RIO HIRAI
SOUND ENGINEER: SHINSUKE YAMAMOTO