BRIAN
WILLSHER
SCULPTURES
1966 – 2007

この2022年カレンダーのために選ばれた、流れるような形状に特徴のある彫刻作品は、ブライアン・ウィルシャーを著名にした代表的なものばかりです。包み込むような曲線と同心円状の輪、そして木が生み出すジオメトリ…作品のひとつひとつに唯一無二の経年美が見て取れます。光と影を捉え決して見飽きないフォルムは、どの角度から眺めても優雅、そして崇高で自由な解釈が可能です。

「私をブライアン・ウィルシャーの作品に惹きつけるものは、彼自身の木への思い入れです。この美しい素材を熟知し、それが真の喜びだったことは彼の彫刻を見れば明らかです」
– マーガレット・ハウエル

BRIAN WILLSHER SCULPTURES 1966 - 2007
CALENDAR 2022
¥2,200(税込)

英国人アーティスト、ブライアン・ウィルシャーの彫刻家としての成功は全く意図的なものではありませんでした。1930年生まれのブライアンはウールウィッチ工科大学で工学を学び、様々な職業を転々とした後に歯科技工士になります。しかも熱心なオートバイ愛好家だった彼は1953年のブランズ・ハッチでのサーキットレースで重傷を負い、全治に長い時間が必要となってしまいます。無数の損傷と自由の効かない生活を強いられるなか、ブライアンは実験的に石膏でオーナメントや動物のフィギュアを製作しながら6ヶ月を過ごし、その売上で僅かながらの収入を得ました。

回復後の1950年代終わりに出かけたガンジー島でのキャンプ旅行がブライアンの世界観を変えることになります。ロンドンに戻ると彼はそれまでの仕事を辞め、手彫りの木製サラダボウルを製作することを決めたのです。しかし思うほどの売上はなく、代わりに地元の店のオーナーから作るよう勧められたのは木製のテーブルランプでした。その提案を大喜びで受け入れたほんの数ヶ月後、ブライアンのランプベースはヒールズやリバティ、ハロッズで販売されることになりました。

1966年にハロッズで開催された個展がきっかけとなり、ブライアンのクリエーションは機能的な生活用品から、彫刻作品へとシフトしていきます。納品した多彩なサイズの150作品のうち147品が2週間のうちに売れました。3品はブライアンが個人コレクションとして手元に残しました。作品のコンセプトについて尋ねられたブライアンは恥ずかしそうに答えたそうです。

「落書きをしているようなものです…木でね」

世界中の評論家や美術商がブライアン・ウィルシャーを英国彫刻界のユニークな新星として、にわかに囃し立てていましたが、ブライアンにとっては心地のよいものではありませんでした。生まれついてごく現実的だったブライアンは喝采よりもひっそりとした家内工業の方が性に合っていたのです。頑なな一匹狼のアウトサイダーとして、スポットライトが当たる場所を故意に避け、冗談でロイヤル・アカデミーで公開された大きな彫刻作品に50ポンドの値をつけたこともありました。そういった彼のユーモアのセンスは誰にでもわかってもらえるものではなかったようですが、彫刻家ヘンリー・ムーア氏や作家のビル・ホプキンズ氏は生涯にわたるブライアンのファンでした。美術史を専門にする批評家ハーバート・リード卿はブライアンについてこのように述べています。

「謎めいた名匠。彼の作品ほど美への信念を感じさせるものは今までなかった」

当カレンダーのイントロダクションの中で、20世紀の彫刻家ヘンリー・ムーアについて「Sir Henry Moore/ヘンリー・ムーア卿」という誤った記載がありました。実際にはヘンリー・ムーアはアーティストとしてのこだわりから1950年にこのSirの称号を辞退しています。ヘンリー・ムーアとその作品について更に詳しく知りたい方はヘンリー・ムーア財団公式ホームページをご覧ください。